はまんど

はまんどについて

初代讃岐うどん王がつくる 讃岐ラーメン

今からおおよそ30年前の昭和61年。
四国は香川県西部の田舎町で、地魚のみを売りにした居酒屋が開業した。
店主は森敏彰(もりとしあき)、その屋号を「炉端焼 盛(もり)」と言う。
大繁盛の炉端焼店で提供していたラーメン(当時は中華そば)が名物となり、その後、ラーメン専門店を出店。注目を浴びる。
しかし、うどん王国・香川においては讃岐うどんが圧倒的に指示されるなか、 徐々に苦戦を強いられる事となる。

日本一、狭い県内にうどん専門店だけでも約850軒がひしめきあうのが現状のなかで、森が着目したのは麺だった。古参屋台や大衆食堂など先人達の調理手法は勿論のことだったが、うどん麺の特色を中華麺に反映することであった。

うどん文化圏で苦戦の最中、年間1500食のうどんを3年間も食べ歩き、中華麺のヒントを模索する。

やがて1998(平成10)年、国営讃岐まんのう公園において地元テレビ局とタウン情報誌が主催となって開催された第1回讃岐うどん王選手権に見事、優勝。ラーメン屋の親父でありながら、初代讃岐うどん王の称号を与えられる。


決勝戦に出題された、茹でられて3時間以上も経過した茹でのび麺が出題“さて、何処のうどん店の麺でしょう”に、決勝進出者中だんとつのパーフェクト回答という事実により「神の舌」「煮干(イリコ)の魔術師」とも地元メデイアに賞賛される。
1999年「盛ラーメン」は「はまんど」と屋号を改名。自称・讃岐ラーメンなる中華麺を世に放ち、店舗を移転後は、たちまち巷の評判となり県内外に波及し全国区のラーメン店となり多数のマスコミにも登場、現在に至る。

作品「踊る大捜査線」で著名な映画監督・本広克行(香川県・丸亀市出身)氏の「UDON」にも実在のラーメン店主として出演、店舗紹介されたことは知るところである。
讃岐うどん巡礼者の聖書ともよばれる有名著書「恐るべき讃岐うどん」(田尾和俊氏・著)に登場する人物。麺通団(めんつうだん)員・盛の大将(もりのたいしょう)のニックネームも持つ。

語源の由来は地名、地域名。
近隣の地名「浜の堂(はまのどう)」からもくる。
地元住民は親近感を持って「はまんどさん」とも呼ぶ。

店舗の東方には讃岐七富士と賞賛される名山「火上山(ひあげやま)」を望む。
山は弘法大師(空海)生誕の地・善通寺(ぜんつうじ)とも隣接し、
寺院は屏風浦五岳山誕生院と号される。

本堂は薬師如来。
五岳山は香色山(こうじきざん)
筆山(ひつざん)
我拝師山(がはいしざん)
中山(ちゅうざん)
火上山(がじょうざん)のふもとにあることから命名された。
四国八十八カ所霊場の第七十五番札所。
真言宗十八本山、一番札所。
山の中腹から沸き出でる清水は小川となり
そして川になり、当店とお堂の祠(ほこら)横に流れ着く。
この河川名が龍王谷川(りゅうおうだにがわ)。
はまんどの標識には龍王が施される。